~Twelve blog031~
Twelve inc.(株式会社トゥエルブ)
近藤圭介です。
今日は母の日です。
こういったきっかけがあると、ちょっとしたプレゼントや感謝の気持ちを伝えるきっかけになっていいですよね!
僕は母親とLINEスタンプを送り合うくらいめっちゃ仲良いんですが、
以前はちょっとでも触られるのが本当に嫌でした。
そこまでではなくても、
恥ずかしくてなんとなく距離を置いている人
っていると思うんですよ。
女性の場合は父親とそんな感じな人が多いんじゃないでしょうか。
もし、あなたが
「両親ともにめちゃくちゃ仲良い」
「生まれ変わってもうちに生まれたい」
というのであれば、何も言う事はありません。あなたの人生は最高に幸せです。
もし、あなたが
「恥ずかしくて、ありがとうと言えない」
「誕生日に年1回メールするくらい」
「忙しくて実家に帰る暇がない」
というのであれば、そんなあなたにオススメ動画(90秒)です。
たまに見ると、不覚にも泣きます。愛ですね。。。
こういうの普段忘れちゃっているだけで、
照れくさくて言えないだけで、
でも、絶対にみんな持っているんです。
おぎゃあと生まれたときから、
愛されて育ててもらい、
大変なときもあったかもしれないけど幸せに育ってきた。
どれだけ愛されていたか、日々の生活の中で忘れてしまうと幸せを感じられなくなります。
たまにはこういう動画などを見てたくさんの愛を思い出してみてはいかがでしょうか。
Love…
僕が謝らなければいけないのが、
父親、母親、部屋の壁
です。
なぜかというと、僕が反抗期だったときに
窓ガラスを割ったり
盗んだバイクで走り出したり
校舎の上でタバコをふかして見つかれば逃げ場もない
なんてことはしていなかったんですけど、
親にはめちゃくちゃ反抗していました。
反抗期だったんで、
親に何か文句言われたり、
ちょっとでも触られるのすら嫌だったんですよね。
自分で言うのもあれなんですけど、
小学校のとき、
めっちゃいい子だったんですよ。
でも中学くらいになって、
“いい子ちゃんうざい”
みたいなのがあって、
今思うとすっごいくだらないんですが、
“親と仲良くしているのはカッコ悪い”
って思っちゃったんですね。
でも、
毎日お弁当作ってくれたり、塾に行かせてくれたり、毎日御飯作ってくれたり、掃除してくれたり、毎月お小遣いくれたり、洗濯してくれたり、、、
そんな母親に
「うざい!」「ばばぁ!」「触んな!」
なんて言ってたんですよ。
信じられないですね。
うちの母親は本当すごくて、それでもお弁当や掃除洗濯など毎日やってくれていました。
こういう時期って何されても本当に嫌で、
好意でやってくれていることも全部嫌でした。
結局、6年くらいそんな反抗期をやっていました。(触られるのも嫌だったのは3年くらい)
それが落ち着いてきたのが確か18歳くらいだったんですけど、
普段そんなこと絶対にしない母親から、
もういい加減にしなさいってことで何かのタイミングで久しぶりにビンタされたんですね。
で、こっちとしてもムカついていたので殴り返そうとしたときに、
母親の力より自分の力が勝っちゃうことに気付いたんですよ。
そりゃそうですよね。
高校生の男なので、母より力が強いの当たり前です。
もちろん、こっちは手を出しませんでした。
なので、壁やドアに八つ当たりです。
小さいころは、親にはかなわないって思っていたので、気付かなかったんです。
そのときに初めて
「あ、これはいけないことしているかも、、、」
って思ったんですけど、
反抗期の圭介はそんなこと言えないわけでつんつんしてました。
そのときに父親も、
普段あんまり口うるさく言わないのに、
僕が母に対してあまりにも反抗的だったもんでついに僕に怒りました。
初めて殴られました。
でも、反抗期圭介は素直になれず、
素直になるタイミングを
ずーーーーーーっと逃していた
んですね。
そこから両親と、ケンカはしないけどほぼ喋らない状態が続きます。
本当に酷いときにはこれすらも言わない時期があったんですけど、
この事件でちょっと大人になったので、
「おはよう」
「おやすみ」
「いってきます」
「ただいま」
「うん」
くらいの会話はするようになりました。
ケンカはしなくなったんですけど、別に仲良くはなかったんです。
でもやっと元に戻るきっかけを見つけました。
1回目が大学受験のとき。
塾に通うには高い授業料がかかる
というのと、
大学を受けるのにもお金がかかる
という問題に直面し、父母との会話が必須でした。
「久しぶりに話したと思ったら金の話か…」
って言われるのがすっごく怖かった。
のですが二人とも、
“お金は何とでもするから
あなたの好きにしなさい”
と言ってくれて、塾に行け、好きな大学の受験もすることができました。
このときに、ちょっと心を開きました。
なので母親とはほんのちょっとだけ話すようにはなりました。
2回目が20歳のとき。
車の免許を取ったんですけど、父が車を持っているので、それを貸してもらって練習しようと思いました。
このタイミングでちょっとは仲良くなれるのかなーと思ったのもあります。
家の目の前が車が通るのギリギリくらいの駐車スペースだったので、練習するには父親に頼まなければできなかったんです。
父としても、息子との会話なんてあんまりしていなかったのでお互いにぎこちなかったんですが、なんとかだんだんと距離が近づいてきました。
ちなみに、何回か運転を練習した結果、
2回ぶつけました。
で、やっと会話をするようになって思ったんですけど、
父も母も、歳をとった
という事に気付いたんです。
自分の父親、母親の姿って中学生のときくらいから自分の中では止まっていたので、そりゃそうですよね。
そのときに、
一緒にいれる時間をもっと大切にしようって思えました。
それで、
いつだったか忘れちゃったんですけど、
何かのタイミングで母親に
「今までごめんなさい、いつもありがとう」
って伝えたことがあったんですけど、
そのときに母親に、
「やっと戻ってきてくれたのね。。。」
って泣かれて、そのときに
「本当に大切にしよう」
そう思い、こっそり泣きました。
父にも何かのタイミングで同じように話をして、
あんまり感情には出さなかったんですけど、
「うん」
って言われて、反抗期は完全に終了みたいな感じだったと思います。
その後、
僕が一人暮らしを始めたときに、
父母を尊敬することになる事件
が起こりました。
それは、、、
まぁ普通に家事するの大変ってだけです。笑
「掃除と洗濯と食事、1人分やるんでも大変なのに5人分って、うちの母は神なの?」
って思いました。
「自分1人で生活するのにもたくさんお金がかかるのに、家族5人養って家も車も持っているって、うちの父は神なの?」
って思うようにもなりました。
近藤家はありがたいことに、
めちゃくちゃ金持ちのセレブ
ではないのですが、
お金や食べ物に苦労したことはありません。
これって本当に父と母のおかげで、
父は
18歳で長野から神奈川に出てきて
同じ会社でずーっと働いて
外であまり飲まず
子供3人大学まで行かせてくれて
一軒家と車を持ってて
母は
そんな父を家で専業主婦としてサポートしてくれて
毎日ご飯作ってくれて
洗濯してくれて
掃除してくれて
子育てしてくれて
って本当にすごいことだと思うんですよ。
この恩は、絶対に一生返し切れないでしょう。
毎日感謝していますし、出来る限りの親孝行もしています。
でも、一生返し切れないと思います。
2人がたまたま出会って、愛し合って、子供が生まれて、育ててくれなかったら、僕はいないわけなので。
一生恩を返し切れないので、ペイフォワードでいくことに決めました。
ペイフォワード:された人に恩を返すのではなく、その分を他の人に返していくこと
・できる限りの親孝行を全力でさせて頂く
・自分の子供や孫、その先の子孫にも出来る限りの愛情を尽くす
・これだけ立派に育ちましたと言えるような人間になる
というのが僕の最大限の親孝行だと思っています。
「愛と感謝」
「恩を返す」
「PLAY JOB」
まだまだ足りない部分はありますが、
これからも大切にしていこうと思ってます。
5月14日(日)
今日は母の日です。
プレゼントはしなくても、
メールしたり、電話したり、そのくらいでも喜んでくれると思います。
ぜひ親孝行してみてください!